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ユーザー訪問:No.11 株式会社ニシムラ

No.11 株式会社ニシムラ

機械加工の現場から

インタビュー
最初の転機となったワイヤーカットマシン

現在、自動車用の超精密金型部品の製造とか、試作部品の加工、ダイカスト金型の設計・製造など主にやっておられて、その高度な品質において業界評価が極めて高いとお聞きしていますが、最大のエポックはどのあたりにあったのでしょうか。

木下社長

昭和40年代の後半から50年代初頭、私が20代の半ばを過ぎた頃には、会社も金型製作を本格的にはじめるようになっていまして、先ほど申し上げたシロキ工業さんの仕事では、レギュレータ(自動車のサイドウインドーの上げ下げをする内部構造物)などを造るプレス金型を手掛けていました。それから暫くして、「ワイヤーカット(ワイヤー放電加工機)」という抜き型加工に威力を発揮する加工機が発表されました。これは、当時の価格で4千万円近くしましたから、現在の価格にすると1億円くらいはする最新鋭加工機でした。これが発表されたとき、月々の収支につけてこと細かく言っていた親父が、一か八かという思いで私にワイヤーカットの導入を相談してきました。親父は、新しいモノ好きという性格に加えて、このまま零細企業に甘んじた経営をしていてはいつまで経っても変わらないということで、一歩も二歩も先へ進むことで他から抜きん出たいという思いがあったようです。当時はまだNCがそれほど普及していなかったのですが、親父はこれからの加工はNC制御の時代だと言っていましたから、そういう意味でも自動位置決めやワイヤーオフセット、ミラーイメージなどが標準機能となっているNC制御のワイヤーカットは親父が待ち望んでいた機械だったのです。

それでどうされましたか。

木下社長

町工場という状況に甘んじていては会社の前進はないと常々考えていましたから、一も二もなく親父の提案に賛同し、ワイヤーカットの導入を図ることにしました。

随分と思い切ったことをされましたね、ちょうど石油危機の余波で世界中が大揺れだった頃じゃないですか。

木下社長

そうだったかも知れませんが、親父は現金をポンと払って買いました。どこかに金を持っていたんですね。それでも、親父の博打的な思いつきで導入したということだけは避けたかったですから、ワイヤーカットでそれなりの仕事につなげなければという思いもありまして、自分がそれを稼働させるという意思で現場の面倒はもとより、ワイヤーカットのオペレーションまでの全てをやりました。

順調に稼働させることはできましたか。

木下社長

確かあの当時、この中部地方でワイヤーカットを導入したのは、うちとトヨタ自動車さんくらいで、トヨタさんが1号機でうちが2号機だったと記憶しています。そんな状態でしたから、とにかく珍しい機械があるという話がたちまち広がって、試しに出してみるといい結果で仕上がってくるということが分かり、引き合い件数が一気に増大しました。そのようなわけで、この辺りでワイヤーカットを使って賃加工する仕事は、うちが一手に引き受ける格好となりました。

確かに、二台しかない機械の一台はトヨタさんですから、まさかトヨタさんに加工を依頼するというわけにもいかないでしょうからね。それにしても、先代も現社長もその辺りの目先が利くといいますか、向上心に加えて先見性という面でも常人離れしたところがおありだったのですね。

木下社長

当時は、私一人で月にして450時間くらい機械を稼働していました。機械の脇に布団をひいて、四六時中機械を見て、疲れてどうしょうもなくなるとその場で寝て、機械が止まると起きて、再び機械を動かすというような毎日でした。

日曜祝日関係なく、工場にベタづけ状態で1日15時間はぶっ続けで機械の面倒をみるということになりますね。これも常人のできることではない。下手をすると体が危ういですね。

木下社長

当時の機械は稼働させるとテレビにハッキリと影響が出ます。いわゆる電波障害です。その頃、親父は工場のすぐ近くに住んでいましたから、そのことが逆に機械を稼働させているかどうかを知るモニターの役割となりまして、ほんのわずかの間でもテレビがきれいに映るようになると、「止まっているぞ!」と言って電話を掛けてくるのです。そなんこんなで、4千万円を払った機械もたった2年くらいで元がとれてしまいました。