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ユーザー訪問:No.19 アイザワマシニング株式会社

No.19 アイザワマシニング株式会社

機械加工の現場から

地域と結びついて
【客先に応えるために雇用】

1963年(昭和38年)11月、現在の会長、相澤賢吉氏が創立した相澤鉄工所が、現在のアイザワマシニングの前身である。

もともと黒部の生まれである相澤賢吉氏は、同じ富山県の不二越鋼材(株)(現(株)不二越)に勤めていた。仕事は、精密治具のボーリング加工を担当していたというから、相当の腕前だったことが窺い知れよう。

しかしながら、その勤めを2年ほどで退職し、内職的に地元大手企業のファスナー用細巾テープの製造と染色テープの修正・チェーンの組み合わせの仕事を始める。地元大手企業は終戦の1945年(昭和20年)に魚津で設立され、1955年(昭和30年)に黒部市に工場を稼動するなど、やはり地域に密接に関係を持つ企業である。

ファスナー加工の仕事は順調に拡大し、男性2名、女性5名を抱えるほどになっていた。

8年後の1963年(昭和38年)、地元大手企業から、ファスナーの機械部品の製造と、工場設備の修理などの仕事を求められる。当時の人員では対応に技術的に困難と判断し、急遽、溶接職人を3名、旋盤・フライスのできる職人を3名程雇い入れ、穴あけ専用機と、旋盤・ボール盤を一式導入し、これを機に相澤鉄工所を設立する事となった。


アイザワマシニング

面白い事にこの時点で、現在まで続くアイザワマシニングのアイデンティティーが確立されている。ひとつは機械加工部門と溶接部門を併設するという形態。そして、もうひとつは、オーダーに合わせてそれを可能にする人材を確保してまで客先に対応するという考え方の部分である。この時点では、時代背景から考えれば、当事者にとっては英断というほど大袈裟なものではなかったかもしれない。しかし、その後の発展を顧みればこのときの決断が、大きな影響を及ぼしたと思われるから不思議なものである。

人員の増員は奏功し、客先からも認められる。地元大手企業からの受注は増大し、他にも田中精密工業(株)や中越合金鋳工(株)といった同じ富山の企業からの受注も舞い込んだ。

いつしか、設備は旋盤・フライス・平面研削盤など約15台に増えていった。地元の大きな企業に認められて順調に業績を伸ばし、1981年(昭和56年)頃には、社員も約25名を数えるほどに成長していった。