オークマ株式会社
オークマメリット
オークマ株式会社 HOME
ユーザー訪問:No.19 アイザワマシニング株式会社

No.19 アイザワマシニング株式会社

機械加工の現場から

地域と結びついて
【先んずれば人を制す】

1988年(昭和63年)には、社名を現在のアイザワマシンニグ株式会社とし法人化する。それまで東京で就職していた長男の吉彦氏(現代表取締役社長)を呼び戻し、若い人材の採用に当たらせたという。

加工メーカーでの若い人材の確保の大変さは昨今始まったわけではないが、富山では一層の困難がある。若年の求職人口は決して多いわけではなく、また大手企業の工場なども進出しているため、いい人材から採られ、毎年定期的に採用することは当時にはできなかったのだ。

そのために、職業安定所や高校へ日参することとなった。

社名も、当時はC.I(コーポレートアイデンティティ)ブームといえるものであったが、その波に乗り、若い人材を雇い入れることを目的に命名したという。

1989年(平成元年)からは、3月のMCV-B20を皮切りに、10台を超えるマシニングセンタを次々と導入していく。膨大な購入資金を支えたのが溶接部門である。そして、ここで鍵となるのがまたしても地元の大手企業である。

地元大手企業工場内での設備修理の仕事を請け負い、新たに多くの溶接工、製缶工を雇入れ、出張する仕事と溶接加工物の製作を拡大した結果、設備の機械も受注する様になった。このように、アイザワマシニングにはいわゆる「ものづくり」という業務以外にも素地として優れたマネジメント機能を有しているといえる。ここで得た技術と信用と利益が機械設備の投入に結びついていった。

大型のマシニングセンタを設備することによって受注は増大していった。自動車産業は安定して順調、それに加えて1991年頃から半導体産業、液晶市場が拡大、需要が拡大していった。

旺盛な需要を受け、アイザワマシンニグでは2010年くらいまでの間は、大型マシニングが活躍できる環境にあると予測し、2006年までにさらに大型のマシニング、MCR-BU 35×80Eなど、3台の設備の導入を決めている。 相澤賢吉氏に伺うと「大型の機械を購入するのは、大変高価であり納期も長く簡単に決断はできない。それでも、思い切って決断し、他社よりも一足先に設備すれば、受注に大変有利に働く」ということだ。


相澤吉彦社長

オークマの機械が多いのは、故障した場合の修理の良さ、多少無理を言っても対応がよく助かっていると、うれしい言葉いただいた。

アイザワマシニングという会社を考えてみれば、機械加工部門と溶接部門を持ち、大型の設備を備え、できるだけ多様なニーズに応える能力を培ってきたといえよう。こうして、富山を中心に石川県や福井県といった北陸地区にある企業の信頼を得て、誠実に需要に応えてきたということであろう。もしも北陸地区の企業で加工を発注する立場である人ならば、取り敢えずどんなものでも何とかしてくれるということで、真っ先に思い浮かぶのがアイザワマシニングということになるのではないだろうか。