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ユーザー訪問:No.21 有限会社愛和精密製作所

No.21 有限会社愛和精密製作所

機械加工の現場から

1.さくら市氏家町の本社工場を訪ねて
【都心から意外にも1時間と少々】


愛和精密製作所

東京から東北新幹線で約1時間、関東の北の玄関口ともいえる宇都宮で東北本線の普通に乗り換え、途中、鬼怒川に掛かる鉄橋を越えてしばらくすると氏家駅に着く。その間17分程、広々とした耕地に点在する家々、遠く那須高原や日光の山並みを車窓越しに望むのどかな道中だった。
一世紀近くの歴史があるという氏家駅からは、車を走らせて5〜6分のところ、道路に接して今回の訪問先となる「有限会社 愛和精密製作所」に到着した。そこには、もう一つ別の会社の工場があり、互いに道路を挟んで向かい合うような形となっている。他には工場らしきものは見あたらない。ここは明らかに工業団地ではない。
入り口は車道に面し、門は広々としていて開放的だ。これなら大型車両も気楽に出入りできる。そして、敷地を囲む正面フェンスにISO9001、ISO14001認定のプレートが目に入った。

【フライス盤加工、一級技能士誕生】

愛和精密製作所先代社長(現会長)の榎本昭次郎は、昭和38年(1963年)に東京の板橋で会社を設立している。
戦前は、旧国鉄大宮工場機関車部門(通称、国鉄大宮工場)で車両整備に携わったが、その後、昭次郎は都内で部品加工を主にやっていた浦田精機という会社に就き、昭和30年代半ばにはすでに現場責任者になっていた。とりわけフライス加工では、国鉄で磨き上げた腕に自信があった。
浦田精機の主たる得意先は、電装電機の名門、澤藤電機だった。昭和36年(1961年)そこから技能検定を受けてはどうかとの誘いが舞い込んだ。


技能検定は、職業訓練法に基づき昭和34年(1959年)からはじまったばかりの検定制度だった。
試験は学科と実技に別れ、まずは学科からはじまった。一緒に受けた同僚たちはこの段階でことごとく落ちてしまった。
次の実技は、フライス盤を使って決められた形を削ることだった。
澤藤電機には、牧野K型フライス盤があり、検定はこれと同じものを使うことになっていた。


創立者 榎本昭次郎会長

昭次郎は、汎用フライス盤に手慣れていたものの、高速回転のフライス盤は初対面だった。
不安が頭の中をよぎった。「こんなのできっこない!」
しかし、昭次郎は工場のメンツを一身に背負っていたし、持ち前の負けん気が気丈にした。
「一日だけ練習をさせて下さい。それから超硬の刃物を使わせて下さい」と頼み込み、澤藤電機へ行き、牧野のフライスを試してみた。すると、思いのほか使い易いものであることが分かった。これならいける、そう確信した昭次郎は実技検定に挑んだ。
その結果、フライス盤加工において一級機械技能士に合格したのは、昭次郎ただひとりだった。
この時のことを昭次郎は、「そりゃ、たまげたネ」と、まるで他人事のように述懐する。


大隈豊和製 ラム型フライス盤

汎用型の古いフライス盤しか経験していなかった昭次郎は、はじめて使ったK型フライス盤の優れた能力に驚いた。
腕一本が頼りの世界も、これからは機械の性能によって変わっていくに違いない。そう確信し、ぜひK型フライス盤を入れたいと考えた。しかし、それは当時の会社規模からして高嶺の花だった。
何とか手に入れたいと思い続け、どうやら手の届く機械があることを知った。それが、大隈豊和機械(平成18年[2006年]、オークマホールディング、オークマ、大隈豊和、大隈エンジニアリングの4社合併により現在のオークマに至る)のラム型フライス盤であった。この機械が、昭次郎と大隈豊和との出会いでもあった。
以来、会社の創立を経て、さらに約半世紀近く経った今も、両者のつながりは途切れることなく、昭次郎から現社長の覚へと世代交代を経て、後のエポックとなった5軸加工機へと受継がれている。

続き 【時代に翻弄される業界】