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ユーザー訪問:No.21 有限会社愛和精密製作所

No.21 有限会社愛和精密製作所

機械加工の現場から

2.継承の道筋と未来展望
【親父の仕事など継ぐものか】


榎本 覚社長

このとき、現社長である覚は、まだ都内の大学に通っていて、父親の経営する工場の厳しい状況から、学費も充分に納めることが出来ずに、いつも滞納者という惨めなはり紙に名を連ねていた。
当時、覚は、「絶対、親父の仕事などは継ぐものか」そう思ったという。
そんな覚も、昭次郎の経営する工場で働くこともバイトの一つとして割り切っていたという。根っからの技術好きなところは親子の血なのかもしれない。ただ、覚のバイト代は、授業料として大学に納められ、自分の小遣いには出来なかった。
大学を卒業した覚は、埼玉の和光にあったホンダの技術研究所に就職した。ここは本田技研工業の研究開発部門を分社化したいわばシンクタンクで、グループの中心会社にあたるホンダの社長は、創業者を除いて代々、この研究所出身者から選ばれていた。

もともと覚は、自動車メーカーへの就職は視野になく、望んでいたのは車両を製造していても建機メーカーの方であった。ホンダへは、友人がどうしても入りたいというので、持ち上げ役を演じるつもりで入社試験に付き合った。
だから面接では、そのつもりで精いっぱい無茶をぶちまけた。ホンダ車のことを訊ねられれば辛口の批判もしたし、自分の本音も臆すことなく言った。そうすれば一緒に受けた友人に花を持たせられるからである。
ところが、あに図らんや自分の方が合格し、友人の方は不合格となっていた。その後、友人は覚が希望していた建機メーカーの方に就職したというから、何とも不思議な因縁というか、世の中はままならないものである。

【「親父、持ち帰れ!」と息子は言い放った。】


昭次郎は、息子である現社長の覚が勤めていた技術研究所設計部から仕事を請け負った。本来なら、そうしたつながりで仕事を出すことは珍しいのだが、昭次郎の加工技術には定評があり、覚はいい仕事をこなせる加工会社を紹介して欲しいと頼まれて、不本意ながら親父の会社、愛和精密製作所を紹介したことがあった。それは、縁故ではなく、仕事本位で考えると結局は出す側も請ける側も道理に適った関係にあった。
ある日、昭次郎はいつもの特急仕事を請け、一晩掛けてつくった部品を覚のいるところに届けたことがあった。
自動車を運転するのは昭次郎、助手席には妻が座った。納品だけでも片道100km以上、往路にして一日掛かりの日程となる。徹夜でフラフラでは、助手席にいて居眠りを見張ってくれるナビゲーターの存在は欠くことができなかった。無事に納品が済めば、家族いっしょに上手いご飯でも食べてのんびりと帰ればいい。そう考えるのが人情というものである。
検収には、すでに責任ある地位にいた覚と彼の部下が立ち会った。


昭次郎がどうぞと言って出した部品を厳しくチェックした覚は、渋い顔をした。そこに僅かな不具合が認められたのである。
いっしょにその場に立ち会った覚の部下は、この程度のことならこちらで手直ししておきます。今日は遠くからご苦労さまでしたと、思いやりある言葉で先輩の親を労った。
ところが、覚はすぐさまその言葉をうち消すように、「これではダメ、持って帰って下さい」と冷たく言い放ったのである。
それは、まさに手厳しい一言だった。昨夜は殆ど眠る間もなく仕上げた部品、それを一日掛かりで運んできたというのに、実の息子の言葉はあまりにも酷だった。公私混同でないばかりか、公私離反の最たるものである。
昭次郎はもちろんのこと、車中で待っていた妻もまた、息子のあまりに厳しい対応に愕然とした。しかし、不具合は確かに昭次郎側のミスだった。それに息子の本心は、言葉にしなくとも昭次郎がいちばんよく知っていた。再び工場に戻った昭次郎は、くたびれ切った身体をむち打つようにして、ひとり黙々と旋盤の前に立った。

続き 【覚の決断と栃木への移転、そして5軸加工機で成し得たもの】