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ユーザー訪問:No.9 技研精機株式会社

No.9 技研精機株式会社

機械加工の現場から

技研精機のプロフィール
【ロケーション】

今回の訪問先である技研精機株式会社の本社・工場は、板橋区内にある。板橋は、古くから工場が集積する都内の工業生産地域として知られているが、同時に都民の日常生活圏として一般住居なども数多く混在する。

工場社屋は、事務所棟を含め三棟が隣接し、これに加えて新たに建設中の工場もあり、さすがに人口と建物の密集する東京都内の生産拠点と言わざるを得ないが、ここが会社の設立発祥地でもあると聞くと、気に入った場所は誰でも大切にしたいという気持ちが伝わってくる。


【ヒストリー】

1969年1月、板橋区小豆沢において、代表取締役社長である宮崎昭氏が、資本金500万円で機械器具の製作・修理、部品加工、治工具の製作などを業務目的として設立したのが技研精機のスタートである。

当時、日本の高度経済成長は、一つの転換期を迎える時期でもあった。

70年代初頭、大阪で開催された万博は、ある意味でその象徴的な催しでもあった。大量にモノをつくることで成し遂げられた戦後日本の経済成長は、やがて質の厳選化を目指すとともに、産業は長大重厚から短小軽薄へと変節した。そしてさらに、多種多様なモノを少しだけつくる時代へと傾向してきた。

技研精機の設立当初の仕事は、日本専売公社(現、日本たばこ産業)向けのタバコ巻き上げ機の製造だった。専売公社の仕事は、いわゆる官公庁の仕事として、厳しい品質管理が要求されるものであった。そのことが後の技研精機にとっての大きな資産となったのである。

宮崎氏がHONDAさん(株式会社本田技術研究所)の仕事を本格的に受注したのは、会社設立から約10年の歳月を経た昭和55年(1980年)頃だった。

当時、HONDAさんは、いわゆる2輪の「HY戦争」のなかで苦闘していたことから、生産効率を高める一方、質のよいクルマをアピールすることでシェアを拡大したいという願いがあった。そして技研精機は、専売公社で培ってきた大きな宝となった品質管理技術により、HONDAさんに買われたのである。以来、技研精機は今日までHONDAさんに長く付き合っていただいている。


【プレズント】

現在、技研精機内においての受注割合は、継続的にHONDAさんがトップを占めており、二番目は液晶、半導体などを製造しているキヤノンさんとなっている。

現在の総従業員数は115名、平均年齢が33才と若いのも際立った特徴で、その大半が工場の現場に立っている。

100名強という規模は、加工業界の大半が数人規模の工場で占められていることを考えると、加工業としては中規模以上ともいえる。

技研精機は、東京板橋の本社工場の他に、隣接する埼玉県の川口市に川口工場を1981年に開設。85年には同工場を新増築している。さらに1991年には、現在は主にキヤノンさんの仕事をしている栃木県の芳賀工場団地に芳賀工場を新設。合計3か所の生産拠点で、それぞれの地の利を活かした専門性の高い受注に対応している。


川口工場


芳賀工場